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Rieピアノへの道

プロフィールのページには、経歴を中心に載せましたが、こちらにはRieってどんな人?という、経歴の裏側や、YouTubeを始めたきっかけなどを書いていきます。
今現在、ピアノを習っている方や保護者の方の参考にもなったら嬉しいです♪

小さい頃

ピアノの道を進んだから、小さい頃からピアノが大好きで、たくさん練習したのね!!とよく聞かれますが・・・

母の影響で、知らない間にピアノを始めていました。

当然、「ピアノが好きだから弾きたい!」という気持ちで始めたのではないので、「やらされている」「面倒」「よく分からない」という感覚しかありませんでした。なので、練習も他のお子様と同じく「ピアノの練習、嫌い!!」という、普通の女の子でした。
スイッチが入らないと、1~2回弾いて終わり・・・怒られて、またちょっと弾く・・・の繰り返しでした。(かなり素直なタイプなので、「やりなさい」と言われたら、とりあえずはやる子)

一緒にピアノを弾いていた妹はとても要領がよく、ちゃちゃっと練習を済ませていたので、私よりも上手かったかも・・・

小学生になり母ではない違う先生に習い始めると、「レッスンに行くのは好き」という子に変身!優しい先生で、レッスン室にはたくさんの色の色鉛筆が置いてあり、好きに塗り絵をしてよかったのです★
出された宿題は練習はしていきますが、ピアノを弾きに行くというよりも、色塗りをしに行っている。。。

楽しそうに通う姿を見て、母は「良かった・・・けど、もう少しピアノを上達させたい」という思いで、そこのピアノ教室は辞めることになりました。

人生が変わる先生との出会い

この時点で既に小学2~3年生。なんとなく弾いていましたが、ピアノの基礎はなし!!

今のようにインターネットもない時代なので、先生を探すにも知り合いから紹介してもらう事が多かったのかなと思います。
母も、知り合い数人に良い先生がいないか聞いていたようで、ある先生を紹介されました。しかも全く違うルートでも同じ先生を紹介されたのです。

体験レッスンもないので、まずは母が先生にお会いする事に。お話を伺うと、こんな近場にこんなすごい経歴の先生がいていいの?!という先生で、とても穏やかな先生。すぐ、私もお会いして、ちょこっとピアノを披露。

笑顔で「基礎からやり直しましょう♪」と言われ、そのままレッスンをお願いする事になりました。

遅いスタート

ここで、私のピアノへの態度が一変するかと思いきや・・・基本スタイルはおなじまま!!

前の先生のところでは「色塗り楽しい!」という理由で通うのが楽しかったのですが、次の先生のところは「先生のレッスン室にいる熱帯魚がキレイ☆」という、ピアノとは関係ない理由で、楽しく通っていました。

ただし、何が違ったかというと、以前より要求されることは多かった!どう弾くのか、どう表現するのか、それに必要なタッチなど、根気強く教えて下さいました。そして「根っから素直な子!」の私は、練習は嫌々ながら、言われたことはやって行ったので、1mmずつではありましたが、確実に進歩していきました。

通い始めて1年くらいで・・・なんと先生のお引越しが決定。
お引越し先は、今よりも近くなり、子供でも自転車で通える場所に!妹と一緒に自転車で通うスタイルに変わりました。

ピアノを始めたのは早かったけれど、ちゃんとしたレッスンについたのは、この先生に出会ってから。(小学3~4年生)
ピアニストとしては、遅めのスタートでした。

転機

相変わらず、ピアノが好き!という感覚はないまま、転機が・・・

一緒に通っていた妹がいましたが「向いてない!やめる!」と、突然やめたのです。便乗して私も「やめる!」となりましたが、母から「あなたはダメ」と、意味の分からない宣言が。妹は良くて、私はなぜダメなの?!と思いましたが、先生は好きなので、私は継続する事に。

そして、妹が辞める時のご挨拶に伺っている時、衝撃の母の発言!

「妹の分のレッスン時間を、梨恵のレッスン時間に追加してください」

確か、この時点で1レッスン45分~1時間くらいあったと思うのですが、2レッスン分だから、2時間ちかく?!
今だったら、思わず「えっ!?」となりそうですが、当時からボケ~っとした子だったで、増えるんだ~くらいにしか感じていませんでした。

長くなる=曲も増える、もっと専門的な内容になる

という事は、微塵も思っていませんでした。

もう、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、小さい頃から「ボ~っとしている」という子で、一見ピアノに向いていない子供でした。そして、英才教育だったんですか?ともよく聞かれますが、むしろノンビリだったと思います。今、教室に通って下さっている生徒さんの方が、当時の私よりも進んでいます!

コンクールなどの挑戦

これも驚かれるかもしれませんが、あまり発表会に出たことがありません。この時点で1~2回くらい??
当然、コンクールなんてものの存在すら知りませんでした。

少しずつ上達していったからか、先生から本番のチャンスを頂くようになり、そして、初めてのコンクール挑戦!
受ける事になっても、状況を把握せず・・・とにかく弾けばなんとかなる程度に考えていました。


予選はヤマハの教室のような所で、2人ほどの審査員の方がいらっしゃったと思います。
そもそも本番の経験が少なかったので、弾くまでの流れもイマイチ理解しないまま演奏。運よく通過する事になりました。
頂いた講評には「自分の背にあった、椅子の高さ・位置に調整しましょう」と書かれていて、先生は「梨恵ちゃん、椅子の高さ変えなかったの?!」と驚かれていました。

本選は500人入るような大ホール!緊張はしていたと思いますが、なんと奨励賞をいただく事になりました。

はっきり聞いた訳ではないですが、このコンクールをきっかけに、先生や母が音楽の道も可能性としてありかも、と考え始めた気がします。

音楽高校受験

中学生になり、宿題に出ている曲は難しく、そして長くなっていきましたが、練習のスタンスは驚くほど変わらず・・・
先生からは「梨恵ちゃんの良いところは、とにかく毎日練習する事」と言って頂いていましたが、今思えば、もっと練習しておけばよかった…

そして中学2年生の夏、音楽高校の夏期講習会に参加する事になりました。一人で都心に行くのも初めて。夏期講習会も初めて。しかも大学の教授のレッスン付。なのですが、たまたまお友達になった子たちのお陰もあり、5日間楽しく過ごしました。

同じく中学2年生の冬にも、同じ講習会を受けるのですが、今度はピアノを見て下さる先生が変わりました。その後、どちらの先生がいい?と聞かれ、「女の先生がいい!」という、なんともピアノと関係ない理由で先生を選ぶのですが、この選択も今後の音楽人生を変える選択でした。(この時点で、私自身は音楽高校に進学するという考えは全くありませんでした)

中学3年生の夏も講習会に参加し、その時のレッスンで、大学の先生・今見て頂いている先生・母の3人が「試験曲はこれと、これで・・・この曲はそのまま使いましょう」となにやら相談していて、この時はじめて、音楽高校に進学するんだと気づきました。

そう・・・音楽高校進学だけでなく、そもそも高校どうしよう、という感覚もほぼありませんでした。
多分、心のどこかで音楽に進むんだろうなという予感はあったのだと思います。

音楽高校入学

その講習会以降は、受験モードになり、ひたすら課題曲の練習。練習の一環として、依然受けたことのあるコンクールにも挑戦しました。そして、受験。

私が行った高校には「ピアノ演奏家コース」と「ピアノ科」という2つのコースがあり、私は「ピアノ演奏家コース」を受験。レベル的に足りていないのですが、もしこのコースを落ちても、ほぼ自動的にピアノ科に入れるという保険付きだったので、このコースを受けました。

結果、ピアノ科で無事に入学!

入学してみたら、当たり前なのですが、周りのみんながピアノ弾けて、しかもとても上手。という衝撃の環境。
またまた、私の性格の本領発揮です。

周りに影響される+マイペースにコツコツやる+とにかく疑わず素直に言われたことをやる

また入学と同時に大学の教授だけでなく、もう一人サポートの先生に見て頂けたのですが、その先生からはピアノだけでなく、言葉遣いから音楽の向き合い方まで色々な事を教えて頂きました。
(この先生とは、親戚同士が知り合いだったり、母の習い事の先生のご近所だったりと、不思議なご縁がありました。)

2人の先生にビシバシ教えて頂いた結果、高校3年生の時の内部の昇級試験(?)で、大学からはピアノ演奏家コースでの入学が決まりました。

仲間が増える

高校生の時も同じ先生のもとで5人が勉強していましたが、大学生になり、そのメンバーが5人から11人という大人数に増えました。
大学1年生の夏、たまたま門下生の人数が多かった事と、タイミングが合い、韓国の音大生と交換演奏会をする事に。全員が参加できたわけではありませんが、連弾の合わせ練習や韓国演奏ツアーを通じて、急激に仲良くなった私たちは、翌年の春にはviva veloceという音楽グループを作り、連弾を中心とした演奏活動を始めました。1人では出来ないような事も、11人もいるとなんとかなってしまったり、、、そして何より、ほぼ全員がイノシシ年。全員「これだ!」と思ったら猪突猛進なのです。

最初は弾きたい曲を中心に選曲していましたが、途中からはテーマを決めたり、ナレーションをはさんだり、と回を重ねるごとに色々な挑戦をしていきました。
この経験は、教室の発表会や企画コンサート、そしてYouTube活動の出発点になっています。

大学時代

仲間との音楽活動も楽しかったのですが、ここでまた少しの変化がありました。
高校生の時からお世話になっていた、サポートの先生が別の先生に変わったのです。しかも、人生初の男の先生。
勝手な先入観で「絶対、厳しい・・・どうしよう・・・」と思ってレッスンに伺ったのですが、イメージと正反対の先生で、とても穏やかで、今までとはまた違った角度で教えて下さる先生でした。そしてなにより、先生のピアノの音が素晴らしかった!

そんな先生のレッスンは、1度受けると確実に何かが変わるので、友人と「先生マジック」と呼んでいました。
変わるのは演奏だけでなく、意識も変わっていき、ようやく「ピアノって面白い・興味深いな~」と感じ始めます。

唯一、私に才能があったとすれば、素晴らしい先生に巡り合った事。ベストなタイミングでベストな先生に見て頂けました。

ハンガリー留学

大学在学中に、ショパン国際ピアノコンクールを受けるチャンスがあり、初一人海外へ。
以前、演奏ツアーで行ったことはあったのですが、一人で全てを手配するのは初めて。しかも旅行ではなく、コンクールの参加が目的なので、自分の演奏が終わるまでは、生きた心地がしない滞在でした。

でも終わってしまえば、楽しい毎日。予選の前の試弾は公開されていないのですが、コンクール参加者だからという理由で忍び込んでは「弾く人によって、ピアノってこんなに変わるの?!」と衝撃を受けまくり、予選では同じ曲でも色々な解釈・演奏があって、「こんなに曲って変わるんだ~」と感心し、その合間にショパンアカデミーの先生のレッスンを受け、観光もし、あっという間に帰国の日に。

帰国後は、漠然と「海外に行きたいな」と思うように。
ただ・・・ポーランドに行きたい気持ちにはどうしてもなれず、、、以前、レッスンして頂いた、ハンガリーの先生を思い出しました。たまたま、日本にいらっしゃるとの事で、レッスンをお願いし、先生の元で勉強したい事をお伝えすると即OK。
大学を卒業して、その年の夏にハンガリーへ。

ハンガリーでのレッスンは、日本とは違い、とにかく早い!日本では1つの曲をある程度の期間練習していたのですが、ハンガリーでは、短ければ1週間、長くて2週間のレッスンで終わりでした。なので、常に新しい曲を譜読み・暗譜しないといけない状態。ですが、それが苦痛になる事はありませんでした。

先生も人間味にあふれる先生で、ピアノも「きちんと弾くだけでなく、心で語るように弾く」という事を教えて頂きました。
このスタンスが私に合っていたのだと思います。

人生の中で、一番ピアノ・音楽漬けになった日々でした。

帰国後

帰国後は演奏活動をしつつ、自宅でピアノ教室を開くことに。
今まで、演奏するという事ばかり勉強してきましたが、演奏する事と教える事はまったく別のものでした。
まず、説明できない・・・小さい頃から感覚で弾いていたのと、レッスンでも見て盗むという事が多かったので、言葉にしようと思うと、なんと言って良いか。しかも微妙なニュアンスを説明するのにベストな言葉が思い浮かばない。

そして、「音を間違えずに弾く」「きちんと弾く」という事ばかりに関心が行き、「心で感じたものを音にする」「音楽の背景を想像する」という事が二の次になっていると感じ始めた頃に、友人からYouTubeやったら?と提案してもらい、YouTubeをやってみることに!

ただ、私自身がだんだんと「ミスしちゃいけない」「正しくないといけない」と窮屈になってしまい、一時休止・・・
よくよく考えると、私の別名「チョロミスの梨恵」。意外と言われますが、小さなミスが多いのです・・・そのミスに囚われて自由のない演奏は、ハンガリーで感じた音楽とは違うもの。

もっと表現という事に重きを置いた動画が作れたらなと、現在計画中です♪

動画で「プロでもミスするんだな」とか「こうイメージしても良いんだ」などなど、ピアノを習っている方や、習っていた方を応援出来たら嬉しいです♪
もちろん、なるべくミスはないように練習はします!が、チョロミスの梨恵だからね。

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